EBMの物語

EBMに関する誤解を避けるためのヒント

1. EBMは誰のためのものか

臨床家にとっては、その担当患者を最善の状態に導くことが最優先の目標となります。
したがって、臨床家にとって役立つ情報とは、目の前の患者に最適なアプローチとして適用できるか否かを判断できる内容を含む情報だということになるでしょう。
では、臨床家が本当に求めるものとEBMとは一致するのでしょうか。
EBMは20年くらい前に国外から入ってきたばかりの行動様式ですので、よく耳にする言葉である割にその意義について混乱を生じやすく、誤解を受けやすいといわれます。
典型的な誤解には、「EBMとはエビデンスに基づくガイドラインを作成し、それによって診療を統一することである」1)というものが上げられます。
ここでは、臨床家としてEBMを活用するためのヒントとなる視点を以下に示して、EBMが患者の役に立つものかどうかの検討の一助としたいと思います。

2. EBMの3つの物語

EBMに関して、斉藤2)が抽出したEBMをめぐる3つの「物語」を以下に示します。
  1. EBM正統派の物語
    「エビデンスとは原則として疫学的方法によって得られた経験的、実証的な情報であると定義し、エビデンス自体の批判的吟味と、エビデンスを用いた臨床実践の批判的吟味こそが、EBMの本質である」2)とする考え方。
    「正統派においては、SackettらのEBMについての2つの定義『EBMとは、臨床実践において、エビデンス、患者の意向、臨床能力の三者を統合することである』ということと、『EBMとは、個々の患者の臨床判断において、最新最良のエビデンスを明示的に良心的に一貫して用いることである』ということが遵守」され、「EBMの実践における5つのステップと臨床疑問の定式化の4要素(PECOあるいはPICO)が実践のツールとして重要視される。」2)ことが特徴だとしています。
  2. EBMガイドライン派の物語
    「EBMとは、エビデンスを収集してそれに基づいた診療ガイドラインを作成し、それを医療実践に普及させることである」2)とする考え方。
    このガイドライン派においては、「EBMとは個々の患者の問題に応じた個別実践であるという考え方は著しく後退しており、むしろ、ガイドラインに従って医療の標準化を行うことがEBMの最大の目的とされる」2)とされています。
    さらに、「『国民は誰でもどこでも、最低限の質が保証された医療を提供されるべきである』とする、極めて正当な社会的要請がこの立場を後押ししている」2)として、「ガイドライン派のEBMは、正統派が5つのステップを重視するのに対して、むしろ、エビデンスの階層表(いわゆるエビデンスのレベル)とリコメンデーション(推奨)のレベルをツールとして重視する」2)立場であるととらえています。
    また、このガイドライン派の欠点として、「ガイドラインはエビデンスそのものではなく、専門家の推奨(見解)を必ず含むものである。そうすると、専門家の見解を最も質の低いものとみなすというエビデンスの階層表とは、ある意味で自己矛盾する」2)ことを上げています。
  3. EBM伝統科学派の物語
    「エビデンスを臨床疫学的な情報に限定せず、むしろ、生物科学的な理論や病態生理を推定する実験的研究の成果を重視しようとする」2)考え方。
    伝統科学派の欠点は、「正統派の視点からすれば、EBM出現以前の古典的な科学的医学論を、エビデンスという口当たりの良い名称にすり替えて、伝統医学の復権を目指しているように見える。また、ガイドライン派からは、エビデンスの階層表の順位を無視しているように見える」2)ことだとされています。
    また、3者の差異に関して、「正統派のEBMは、明示される根拠(エビデンス)を原則として臨床疫学的な情報に限定する。またガイドライン派は、エビデンスの階層表を示して、基礎科学的な情報を臨床疫学的情報の下位に位置づける。しかし、伝統科学派のEBMは、あえてそれらを軽視し、『通常の意味での科学性』をもって、自らの理論や実践の正当性の根拠としようとする。」2)ことだとしています。
    さらに、「伝統科学派のEBMが強い力を持つ第二の理由としては、『科学的』という言葉が依然として保持している権威性が挙げられ」、「一般的には、『科学的である』ということは『客観性を持つ』ということとほぼ同義として理解されるため、伝統科学派のEBMは、医療における『主観性』を徹底的に排除する傾向がある。」2)としています。
    一方、「正統派あるいはガイドライン派の主張するエビデンスは、例えば主観的なQOLを、尺度測定によって数値化したデータをも扱うことができるため、伝統科学派の見解に比べれば、『主観性』に対しても開かれている」2)と述べています。

3. 臨床判断の根拠となにか

臨床実践に役立てるための根拠となる情報の活用という観点に立つと、大切だと思われるポイントは何でしょうか。
得られた情報(エビデンス)の患者への適用を検討する上で重要となる前提に関して、斉藤3)は次のように述べています。
「旧来の医療観では、医療者と患者(およびその家族)との間には知識情報量に圧倒的な差があるとされ、専門家である医療者がそれらの知識や情報を用いて最適な判断を下し、それを患者にあてはめる(適用する)のが正しい医療であると考えられてきた。しかし、近年このような医療観はパターナリズム(父権主義)として強く批判されている。もちろん、専門家に責任と倫理が伴うことは当然であり、その必要がないということではない。しかし、(中略)患者・家族とのパートナーシップを最大限に尊重するという方向性が、医療において必須のもとされていることに疑いがない。」
さらに、一般的な情報を個別の実践へ適用することに関して、斉藤3)は次のように述べています。
「個々の実践の経過は決して完全には予測できない。私達が知りたいのは、その特定の患者の近未来に何が起こるかということであるが、エビデンスが与えてくれるのは、あくまでも確率論的で蓋然的な情報である。エビデンスを確実な未来予測を与えてくれるものと盲信する態度は、むしろ、医療に混乱をもたらす。」
そこで、重要になることは何か。斉藤2)は以下のように主張します。
「EBMの実践において非常に重要なポイントは、『臨床判断・決断の過程を明示する』ということにある。言い換えると、『その臨床判断(診断・治療・医療経済的判断など)がどのような根拠に基づいて行われたのかを説明できる』ということである。」
さらに、その説明は誰に対して行われるべきなのかについて、斉藤2)は次のように述べています。
「第一に説明を受ける権利を有するのは、目の前にいる、その対象となっている患者であるに違いない。」

4. EBMの核心

そして、斉藤2)は次の主張へと考えを展開しています。
「臨床実践において最も重要なことは、『その説明が科学的にみて正しいかどうか』ではなく、むしろ、『その説明によって、目の前の患者との間で合意が成立し得るか?良好な治療関係が継続できるのか?』」という問題なのではないだろうか。」
すなわち、こうした臨床実践の道具(ツール)として役に立つものこそが、EBMの核心だと思えるのです。
そして、そのような立場から判断すれば、3つのEBMの物語のうち、EBMの核心をその過程として含むのは、EBMの実践における5つのステップを行動様式として提唱している「正統派EBM」であることがわかります。
なお、大切なことは、他の2つのEBMの物語を否定することではなく、正統派と混同しないように正確に認識して対応することでしょう。
オリジナル性を持つ固有の概念から出発したことがらであっても、それが登場してしばらく時間がたつと、そこから多様な枝葉が広がる現象は人間社会ではよくあることです。
その多様性の噴出を押しとどめることはできないでしょう。
ただし、臨床家であるならば、患者の役に立つ手段を最優先して選択するという姿勢を持ち続けることの大切さはいうまでもありません。

引用文献

1)斉藤清二:EBMの目的とその誤解について.理学療法23:1535-1541,2006
2)斉藤清二:EBMをめぐる物語.理学療法23:1651-1656,2006
3)斉藤清二:EBMのステップ(その2).理学療法24:483-488,2007

2017年10月23日掲載

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